私は、数年前パートナーシップにおいて、執着のような気持ちを感じ、どうにも抱えきれない、となった時、
とある方のブログから、目から鱗な事を色々と学ばせていただいた。
その核となる概念は、
この世の生きとし生けるもの、全員(全て)は愛そのものである、
という事だ。
それまで、自分とは、こんなにも腹黒くて、自己中心的であり、ずるくて、良い母親にもなれず、、、
と一生懸命、証拠を探しては、その思いを深めてきたけれど、、
それは全て幻想であり、無である。
自分とは愛そのもの、そして、大いなる存在(自分の中の神さま)に無条件に愛され続けてきた、
という事。
それをずーーーーーーーっと忘れていて、それを思い出したかった、という事。。
私は、あるときまで、目に見えないもの、スピリチュアルなども含め、ずっと信じられなくて、というかもしかしたら嫌悪?していたかも、という感じで、例えば、”病は気から”なども、お医者さまの、原因を突き止められない言い訳、のように思っていました。
けれど、そう思いながら、ずっとなんだか心の中で、刺々しい感じ、というか、、なんだかそう信じていることに、今思えば、不快感もあったのです。
その不快感の理由が、 ”自分は本当は愛そのものである、ずっと神さまに愛され続けられてきた” という事実に目を背けてきたから、と今、とても腑におちるのです。
パートナーシップ関係のせいで、相手のせいで、自分は悩み苦しんでいる、と思っていたのだけれど、もしかしてもしかして、自分が何か間違えているのかもしれない、紐解くのは相手の言動ではなく、自分の心の中かもしれない、とようやく思ったのです。
こういった事って本当に神さまの采配だとしか思えない、というか、それぞれの人生で、最高のタイミングで気付くのかなぁと思います。
もし、今何かに悩んでいて苦しい、どうにかこの状況を変えたい、この願いを叶えたい、のであるのなら、、
自分とは、愛そのもの、ずっと自分の中の神さまに無条件に愛されて続けている、
と思ってみると、もし全然思えないなら、どうやらそうらしい、、、と思ってみることで、少しづづ、自分と仲良くなっていけます。
”病を気から” すら信じられなかった私がそうなれたのですから⭐️
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