罪悪感の正体とは?

(メキシコ、Puerto Vallartaへ行ってきました)

罪悪感って、大なり小なり、、生きていればあって当たり前、感じて当たり前、、、って思っていました。長ーいあいだ。物心ついてたから、ほぼ人生ずっと笑。

あまりにデフォルトで、デフォルトすぎて疑問にも思わなかったし、それで自分が辛くなっているなんて考えもしなくて。

罪悪感🟰自分を責める、はあまりにも自分の脳の大部分を占めてて。今思うと、そりゃあ辛いし、苦しいし、何をしてても心から楽しめないよなぁって思うのですが。

スピリチュアルのスの字さえ知らなかった私が、導かれるようにスピリチュアルを学ぶようになって、どんどん生きるのが楽になって、なんなら幸せをほんわか感じて毎日生きていられるようになったのは、自分の罪悪感の箱をついに開けて、思い切って中身を見てみたからです。中身を見るって、ただ見る、ってだけのことなのですが、見る前は怖くて怖くて、、。なんというか何ヶ月も前の腐った食べ物が冷蔵庫にあるのを気がついてるけど、今さら触って捨てるのも、見るのも怖い、みたいな感じ。でも捨てないとずっとある、永遠にある、、んですけれど。

まぁでも、罪の意識ですもんね。。この罪を正面から認めたら、どうなっちゃうんだろ、すごい罰を受ける、みたいなイメージで。もう許されない、許されるわけがない。だから、薄々気がついていながらも、罪悪感ないもん!私は平気ってフリを全力でしてたりもしてたんです。 

もちろんそんなだと、どんだけ、周りから見たら満たされた生活や環境だったとしても、幸せを感じることはできなかった。内側、なんですよね。。。

具体的な私の罪(だと思い込んでいたもの)は、、、(誰かと比べて)体力がなくて疲れやすいこと、愛の感情より結婚相手として旦那さんとの結婚を決めたこと、父が亡くなるとき海外にいて看取ってあげられなかったこと、母のことが好きじゃなかったこと、子どもにとっていつも優しく完璧な母になれないこと、子どもと遊ぶことに疲れしまうこと、などなど。そして、極め付けは、結婚しているのに、他に好きな人に出会ったこと、そして好きになってしまったこと。。。

どう考えたって罪でしかない!って。ある意味自信満々でした。。どう言い訳したって罪でしょ!って。ずっと自分に言い張って、いじめ続けました。 あたかもそうすることで、罪が少しは軽くなるとでも思っていたかのように。     

それがなんと。。。真理とは、『罪は存在しない』って。(※社会規範の法律における罪、ではなく、心の中のお話です)何故なら、本当は誰も愛、神の子だから。以上。え?!ですよね。でもそうなんです。罪はないけど、私たち、一生懸命全力で、「いいえ、私が悪いです。罪人です!」って神さまに、自分に、言い張ってる、ということ。

例えば私が上記に書いた罪、わたしにとっては罪、許されない大罪、だったんですね。そうに違いない、そうとしか思えない、と言い聞かせ続けた。。。

けれど一つだけ朗報があって。そこまで強く、『自分は罪だ!罪深い!』って信じて言い続けられるってある意味すごいことで。それってその強い思いを、反対の方向、つまり、『自分を許す、愛する』、って方向に向けると、それはそれは深い愛を感じられるし、癒やしや奇跡を受け取れる、ということ。

…みたいです。私の実体験によると。

というわけで、罪悪感の正体は、『無、存在しない』です。

チーンって感じしませんか?

もっと早く知っていたら、、という思いと、あとはただ単純に、知ったことによって、世界の見え方が感動的に違う、その感動を自分だけに収めておくには大きすぎて、こうやってブログを書いています♡

Tags:

Comments

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

Search


Categories


Tags