不安になるとき、例えば、好きな彼に連絡をしたけれど、なかなか返事がない時。
『もしかして、私のこと、もうそこまで好きじゃないのかも』
『忙しいとしても、私は後回しにされる存在ってこと?!』
等々の声が聞こえてきたら、それはエゴの声です。頭が喋ってるというか、思考がぐるぐる回る感じ。
そこで、そのままエゴについて行って、辛くなることは、ある意味自然な流れに感じるかもしれないけれど
ところがどっこい、それは、私がそれを選んでいる、ということ。
さらに言うなら、好きで、選びたくて、そっちを選んでいる、ということ。
いやいや、そんなつもりはない、自然とそう感じる、そうとしか思えない、私は選んでない!と言いたくても。
それは過去の経験だったり、ネットに書いてあることだったり、友達に聞いた話だったり。
けれど、もし、そこで、本当の自分って愛そのもの、神さまにいつも無条件に愛されている、ってふと思い出せたら、
あれ?ってふと緩みます。ぎゅっとしてた心がふわってなる感じ。カチカチに握りしめていたものが、形が少しあやふやになる感じ。
自分が愛、とか思えない、信じられない、という時は、自分がそう思いたくない時。
いつも神さまは、決して裁かず、無条件にあなたを愛してる。そんなことないー!嫌だー!と言ってるのは私。
無条件、てすごいですよね。これってニンゲンには出来ないことで。まさに神わざ、神さまの成せること、ですね。
何か心配ごとがあって、もうどうしたって悪いようにしか考えられない時、頭から離れない時。
ちょっとこのことを思い出してみてください。緩むとそれだけで、外への見方が変わるし、そうやってると、勝手に幸せな方向に流れていきます。
エゴか、幸せか、を【自分が常に選んでいる、選ぶことができる(無意識としても)】
エゴのせいで、私は幸せを選べない、、ってずっと感じていたけど、違った! という目から鱗なことでした。
神さまはずっと無条件でに愛してくださってるけど、受け入れます、ってするのは、私、です。
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